リベラルアーツの扉:海外教養書を読む

田楽心&青野浩による読書記録

パヴリーナ・R・チャーネバ 著『ジョブ・ギャランティの論拠 ――雇用保証はいかにして環境とコミュニティを再生し、つらい働き方を終わらせ、経済格差の是正を実現するのか』(2020年)/100点

  • 紹介(評者・田楽心 Den Gakushin)
    • 原題
    • 著者について
  • 巻頭言
  • はじめに
  • 第一章 良い職のためのパブリックオプション
  • 第二章 崩壊した現状の厳しい対価
  • 第三章 ジョブギャランティー:新しい社会契約とマクロ経済モデル
  • 第四章 しかし、その費用はどうやってまかなうのでしょうか?
  • 第五章 何を、どこで、どのように:仕事、設計、そして実施
  • 第六章 ジョブ・ギャランティグリーンニューディール、そしてその先へ
  • 結論 消えてしまったグローバルな雇用政策
  • 評価(評者・田楽心)
  • お知らせ
  • 関連記事

紹介(評者・田楽心 Den Gakushin)

 ジョブ・ギャランティ・プログラム(就業保証政策)とは、働きたいと望む「すべての人」を対象として、政府の支出と自治体・NPO労働組合などによる運営を通じて、まともに暮らせる賃金と福利厚生で職と仕事を提供する制度のことだ。本書『ジョブ・ギャランティの論拠』は、ジョブ・ギャランティ・プログラム(以下「ジョブ・ギャランティ」またはJGPと呼ぶ)が人道的にも経済政策的にもきわめて優れた制度であること、また現在バーニー・サンダースをはじめとするアメリカの進歩的左派が推進する「グリーン・ニューディール」と一体となって進めるべき政策であることを、包括的に論じたものだ。

 本書によると、ジョブ・ギャランティは、アメリカではすでに政治のメインストリームにまで進出したとされる。2019年のある世論調査によれば、民主党支持層の87%、共和党支持層の71%がジョブ・ギャランティを支持している*1。したがってこれからのアメリカの政治トレンドを知りたい人にとって必読書と言える。

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*1:政治専門紙「ザ・ヒル」と調査会社「ハリスX」の共同世論調査による。/“What Policy has the support of 71% of Republicans, 87% of Democrats and 81% of Independents?” DAYLY COS https://www.dailykos.com/stories/2020/1/7/1898491/-What-Policy-has-the-support-of-71-of-Republicans-87-of-Democrats-and-81-of-Independents
“The Job Guarantee, the Green New Deal, and Beyond”章を参照のこと。

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エイドリアン・ウールドリッジ 著『才能の貴族 ―― いかにしてメリトクラシー(能力主義)は理不尽で古い社会を打倒し、現代世界を作り上げたか』(2021年)/70点

紹介(評者・田楽心 Den Gakushin)

 近年、「メリトクラシー能力主義)」への新たな批判が提起されている*1メリトクラシー meritocracyとは、「教育制度として『英才教育制度、成績第一主義教育』、社会形態として『能力(実力)主義社会、効率主義社会、エリート社会』、政治形態として『エリート階級による支配、エリート政治』、主義・原理として『効率主義、能力主義、エリート支配原理』」*2などを意味する言葉だ。

 昨年ヒットしたマイケル・サンデル著『実力も運のうち 能力主義は正義か』*3は、メリトクラシー批判をテーマとしている。同書でサンデルは不正な手段で子どもを一流大学に入学させる親の事件や、裕福な家庭の出身者が一流大学に入りがちであることを取り上げて問題視する。このためサンデルのメリトクラシー批判のポイントが、こうした「公平な競争と見せかけて、実は公平な競争ではない」点にあると誤解しやすい。しかしサンデルが最も言わんとすることは、能力の優劣が社会的地位の優劣を決めるメリトクラシーは、それが理想的に実現できても不完全にしか実現できなくても、いずれにしても人と人との間にある共感を蝕み、格差意識を強め、共同体意識をずたずたにするという点にある。

 サンデルは、こうしたメリトクラシーの問題がコロナ禍で顕在化したと見る。『実力も運のうち』の冒頭では、「この国はパンデミックに対して道徳的な面でも備えが足りなかった」*4と指摘して、コロナ禍を格差および社会的分断と結びつけて論じている。サンデルが言うように、GAFAと呼ばれる先進テック企業はコロナ禍で売上高と最終利益が過去最高を記録した*5。つい先日も「世界の富豪上位10人、コロナ禍で資産倍増」*6と報じられ、その中には巨大テック企業の創業者たちが名を連ねた。ニューヨークのダウ平均株価も日経平均も大きく値上がりした。先進企業ではリモートワーク化が進み、一部の人々にとっては以前よりも快適で、他の人々より相対的に安全で、物理的にも階級的にも「距離を取った」ライフスタイルが生まれた。

 対照的に、世界中で多くの人々がソーシャルディスタンス政策によって、減収や失業の憂き目に遭うか、危険な現場で働き続けざるを得なくなった。また前線で働く医療従事者への公的支援も十分ではなかった。こうした境遇の格差を放置することへの違和感を意識した人々もいるだろう。

 他方では次のような見方も有力だ。エッセンシャルワーカーになるのも、高校を出てすぐ働くのも、エリート大学に入るのも、IT企業や金融業界で働くのも、人それぞれの選択に過ぎない。したがって健康に危険があるのも報酬が低いのも、個人の自己責任である。能力があり努力する者と、そうでない者との間に格差が生まれるのは自然なことだ。不正なことではない。

 むろん、このように格差を正当化し連帯意識を蝕む思考の原理こそ、サンデルが「メリトクラシー能力主義)」と名指しで批判したものだ。

 このようなご時世に、メリトクラシーを擁護する著書『才能の貴族 The Aristocracy of Talent』が出版された。オックスフォード大学の哲学博士号を持ち、英「エコノミスト」誌のワシントン支局長を務めた経歴を持つエイドリアン・ウールドリッジの著作だ。なぜ「逆張り」を行う必要があるのだろう。それは、ウールリッジに言わせれば、メリトクラシーが我々の暮らす近現代世界を形成した根本原理だからだ。ウールドリッジの考えでは、メリトクラシーが近現代の根本原理となった由来をよく知らずラディカルな否定を行えば、これより大きな害悪を招き寄せてしまう危険がある。このためメリトクラシーの歴史を辿りなおし、その功罪を踏まえて議論する必要があるという。

 原著のハードカバーで504頁の本書は、確かにメリトクラシーの歴史からその長所と短所を知るのにふさわしいボリュームがある(『実力も運のうち』原著は272頁)。以下ではいつものように、評者がウールドリッジに憑依したつもりで『才能の貴族』を補足しつつ要約し、最後に評価を行う。

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Amazon | The Aristocracy of Talent: How Meritocracy Made the Modern World | Wooldridge, Adrian | Poverty

*1:10分でわかる日本のメリトクラシー(≒学歴社会)研究史 -清く正しく小賢しく https://kozakashiku.hatenablog.com/entry/2021/05/13/020320 メリトクラシーについてどんな議論がされてきたのかをざっと掴むならこの記事。ウールドリッジの問題意識とは大分異なる議論がされているようだと推察できる。他方でメリトクラシーが機会の平等を装い、その裏にある格差を覆い隠してしまうという、『才能の貴族』と共通する指摘もみられる。

*2:このメリトクラシーの定義は、マイケル・ヤング 著 窪田鎮夫・山元卯一郎 共訳『メリトクラシー』の訳者解説より。(講談社エディトリアル、2021年 272-273頁)

*3:マイケル・サンデル 著, 鬼澤忍 訳『実力も運のうち 能力主義は正義か?』早川書房 2021年

*4:『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 11頁

*5: 「GAFA、コロナ下で最高益…通販・動画など売り上げ伸ばす」読売新聞オンライン 2021年2月4日  https://www.yomiuri.co.jp/economy/20210204-OYT1T50094/

*6:「世界の富豪上位10人、コロナ禍で資産倍増」時事ドットコム 2022年01月18日https://www.jiji.com/jc/article?k=20220118042517a&g=afp

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アンジェラ・ネイグル 著『リア充を殺せ! ―― 匿名掲示板とカウンターカルチャーは、いかにしてオルタナ右翼を育て上げたか』(2017年)/80点

  • 紹介(評者・田楽心 Den Gakushin)
    • 原題
    • 著者について
  • はじめに オバマの希望からハランベの死まで
  • 第一章 リーダー不在のデジタル反革命
  • 第二章 逸脱のオンライン・ポリティクス
  • 第三章 オルタナ右翼グラムシ主義者たち
  • 第四章 ブキャナンからヤノプルスまでの保守文化戦争
  • 第五章 「Tumblr」からキャンパス・ウォーズへ:美徳のオンライン経済における希少性の作り方
  • 第六章 「男性圏」を覗いてみると
  • 第七章 よくいる女、リア充マスゴミ
  • 結論 「ネタだよ」と言われてももう笑えない
  • 評価(評者・田楽心)
  • お知らせ
    • ★その1 サイト運営者の一人、青野浩の翻訳書が出ます。
    • ★その2 友人が最近本を出したので、よろしくお願いします。

紹介(評者・田楽心 Den Gakushin)

 2016年のトランプ当選を受けて、アメリカ人の多くが、2008年のオバマ当選時との「不可解なギャップ」に首をかしげた。なぜリベラルなアフリカ系大統領の次が、「ポリコレ破り」の常習犯トランプなのだろうか。この謎を解くには、「オルタナ右翼 alt-right」と呼ばれる勢力が台頭したあらましについて理解する必要があり、それにはオバマからトランプまでの期間にオンライン上で起きた数々の事件に注目する必要がある。――これが本書の著者であるアンジェラ・ネイグルが置いた前提である。オンラインにおけるトランプの支持拡大には、「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」のような権威や道徳から逸脱することに楽しさを感じるオルタナ右翼が貢献したとされる。オバマの成功体感を模倣して「リベラルな文化人」を総動員し、トランプ支持者の半数は差別的な「嘆かわしい人々」であると非難したヒラリー・クリントンの選挙戦術に、オルタナ右翼たちはネット上の嘲笑で応えた。

 本書は主に2010年代を中心にオルタナ右翼が参加した、ネット上の事件と文化戦争を思想史的な方法によって描くことで、オルタナ右翼たちを生み出したオンラインカルチャーの暗部に迫る。焦点となる政治的テーマはフェミニズムセクシュアリティジェンダーアイデンティティ、人種差別、言論の自由ポリティカル・コレクトネスなどである。

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Amazon | Kill All Normies: Online Culture Wars from 4chan and Tumblr to Trump and the Alt-right | Nagle, Angela | Conservatism & Liberalism

 ネイグルが論証を試みる大きなテーマは、「オルタナ右翼」の特徴および成功の鍵が「逸脱 transgression」を好む感性と、この感性をネットを媒介にして表現し拡散するときに用いる、文章や画像上の「スタイル」にあったというものだ。ネットでの文化戦争、トランプ当選、オルタナ右翼の台頭ーーこれらには「逸脱」を好む指向が深く関わっている。

 ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターは『反逆の神話』2020年フランス語新版の序文で、「アンジェラ・ネイグルはこれ[ 右派の新しい文化的政治 ]について偉大な本(『リア充を殺せ!』)を書いて、オルタナ右翼が本質的にカウンターカルチャーの運動であることを多くの人は理解していないのだと指摘した」*1と述べている。本書を『反逆の神話』と併読すれば、右派と左派の双方に影響を与えるカウンターカルチャー的感性の問題点について、バランス良く知ることができるだろう。

*1:ジョセフ・ヒース, アンドルー・ポター(著) 栗原百代(訳)『反逆の神話 [新版] 反体制はカネになる』早川書房 2021年 25頁

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プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年)/90点

はじめに(評者・田楽心 Den Gakushin)

 「キャンセルカルチャー cancel culture」という言葉が、日本でも知られるようになってきた。ソーシャルメディア上で、有名人や一般人の過去の言動を倫理的に告発して、その社会的地位を失墜させようとする行動のことだ。またアメリカでは「woke(ウォーク/目覚め)」という言葉が流行している。人種問題や性差別などの社会的不正に覚醒することをいみする左派の合言葉だ。

 本書『特権理論』は、「キャンセルカルチャー」「woke」が象徴する、アイデンティティを基盤とした社会現象の背景にある学術的理論を、「社会正義 Social Justice」「セオリー Theory」「応用ポストモダニズム applied postmodernism」などと呼んで、その世界観と問題点を体系的に描き出している。

 著者のプラックローズとリンゼイは、左派の理論的支柱であるポストモダニズムの性格が、時代を経て大きく変化したことが、ラディカルな左派の社会運動が盛り上がる背景にあると主張する。本書のキーコンセプトは、ポストモダニズムを時期的に「ポストモダニズム」「応用ポストモダニズム」「再帰ポストモダニズム」の三段階に区分する見立てである。これらの特徴については後で説明する。

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